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最新コラム 2010年7月29日更新

映画「サンダーボルト」
原題/英語題 /Thunderbolt and Lightfoot

2010年7月30日ケーブルTVChシネフィル・イマジカにて鑑賞(録画)


『狙いは至近距離なのになぜ、巨大な照準器をつけたのか?』


 イーストウッドとジョージ・ケネディたちは、同じ銀行を2度も襲うことになる。同じ銀行とは“アジア”を意味している。朝鮮戦争とベトナム戦争の2度、アメリカはアジアで戦争をした。1度目の朝鮮戦争は休戦協定締結というあいまいな決着で終っている。それはこの映画での、襲撃には成功したが奪った金の行方がわからなくなっているということと重なる。そして2度目の銀行襲撃は、ベトナム戦争と同じく完全な失敗に終る。
 映画のバックに流れていた歌にいう“失われたものを探す”とは何か?それは直接には“失われた金”を指す。だが、よく注意してみると金の隠し場所とされていた学校に翻っているのは星条旗である。“失われた建国の精神”はまだ星条旗の元に残されている、とでも言いたそうに。ただしこれは、アメリカンニューシネマで打ち出されたような「アメリカ合衆国建国の理念に立ち返れ」といった勇ましいメッセージとは異なる。何しろマイケル・チミノである。
 イーストウッドたちが見つけた金といっしょにカラのバックが隠されていた。このバックは金の持ち運びに使われたものであろうが実際上ではいっしょに隠す必要はない。捨てればよいのだから。カラのバックが表象するのは「建国の理念の喪失」である。理念などすでに失われている。傷ついたアメリカの威信は、もはやマネーでしか取り戻せないといった皮肉を込めたメッセージがそこに秘められていたのだ。この学校の名前は“WARSAW”スクールである。“war saw”戦争が見たもの、これがアメリカにつきつけられたこの事実なのだ。

 そんなことはしかしドラマの背景に過ぎない。アメリカ史上最も特異といっていい時代に翻弄された個人の魂はどのような救済が可能であるか、ということがこの映画の最大のテーマである。
 サンダーボルト(クリント・イーストウッド)は、朝鮮戦争の傷痍軍人である。心も深く傷つけられて、悪魔の付け入りやすい魂の持ち主となった。彼は麦の稔る畑に囲まれる平和な田舎町の教会で、牧師の姿に身をかえ悪魔の手から逃れていたようだ。ところが、教会の背後(すなわち冥界)から土ぼこりをあげて、悪魔の使者が訪れる。危うく難を逃れて麦畑を疾走するサンダーボルト。そこに1台の車が猛スピードで現われ、悪魔の使者をひき殺す。車を運転していたのはライトフット(ジェフ・ブリッジス)。彼こそサンダーボルトの守護天使が乗り移った肉体なのだ。ライトフットの車のボンネットにはしっかりと天使の翼が描かれていた。
 サンダーボルトの戦友レッド(ジョージ・ケネディ)の場合は事情が異なる。元々、粗悪な心をもつレッドの魂にはエディ(ジェフリー・ルイス)という名の、悪魔の使者が乗り移った肉体がすでに寄り添っている。
 もちろんサンダーボルトとレッドのそれぞれの相棒は、劇の“文法”上では二人の男の分裂した精神を表象している。それはとりもなおさず、この時代(1974年頃)でのアメリカという国の精神の分裂をも現しているのだ。
 エディは撃たれて死に、悪魔の使いは今度はレッドの肉体に宿る。レッドの肉体はもはや悪魔の手に落ちた。黒い犬が彼を地獄に引きずり込み、サンダーボルトは悪魔の手から逃れたのである。しかし、レッドに宿る悪魔の直接攻撃を受けていたライトフットの肉体も滅びつつあり、サンダーボルトの無事を見届けるようにして死の時をむかえる。守護天使の使命は終ったのである。戦争の傷に苦しみつづけて魔界の誘惑を受けていたサンダーボルトも天にむかうことになる。ラストシーンでは、ライトフットの亡骸を乗せたサンダーボルトの車が坂道を遠くずーっと昇っていき、やがて見えなくなる。迷いつづけて、現世に留まっていたサンダーボルトの魂が昇天したのだ。

 この映画は、現代における戦争と人間の関係を“神話化”したものである。だからギリシャ神話の「トロイア戦争」を先行する物語として下敷きにしているのだ。サンダーボルトはアキレウスに準えることができる。足の速さは戦争による傷で奪われているが、それをライフットが代行して補っているのだ。アキレウスの鎧を借りて戦ったパトロクロスのようである。サンダーボルトは足を負傷していて、それはどうやら足首、なかんずく踵のように見えた。アキレウスである彼が踵を負傷しているとなればそもそも命は尽きていることになる。そして天に昇れずに地上に留まり迷っていたというわけだ。
 レッドは基本的にはアキレウスと同じギリシャ軍でありながら敵対するアガメムノーンの役である。同時にギリシャ軍と戦うイーリオス軍のヘクトールなど、アキレウスを取り巻く様々な人格の断片を担っている。
 銀行襲撃は「トロイの木馬」を思わせる的中侵入作戦である。サンダーボルトの使う銃身の長いキャノン砲は、アキレウスの槍である。なぜ、至近距離を狙うのに巨大な照準器をつけているのか?あれは、名高い“アキレウスの盾”を模しているのだ。つまりは、槍と盾を手にした英雄アキレウスの姿である。
 
―生身の人間に入り込んだ純粋な精神は、善にしても、悪にしても、肉体のもつ欲望や身体の制限の影響でどうも動きがぎこちない。へろへろと調子のいいライトフットに対して、妙におどおどとして、おっかなびっくりなエディ。普段自由に飛び回っている“精霊”たちにとっては、心の動きさえままならないほどに肉体とは不自由で制約の多いものに違いない。
―冥界からの使いが扮した存在は、途中何度も現れる。例えば、車の助手席にアライグマを乗せてトランクには大量のウサギが詰め込んであった頭のおかしな男。彼には現世に生命(いのち)を運ぶ精霊が宿っている。
 最後の方でサンダーボルトとライトフットを荷台に乗せて運んだボロいトラックの男(姿はほとんど見えない)は、彼ら二人を金の隠し場所に連れて行く役割を天から担われてきた精霊が宿っている、といった具合である。
―銀行襲撃の後、追跡を振り切り4人はひとつの車に乗って逃走するはめになる。トランクに乗っていた“悪魔組”(レッドとエディ)たちのシャツがハッチの外にはみ出したために気付かれてしまったのだ。はみ出したシャツは悪魔のシッポである。






アキレイオンにあるアキレウス像


アンジェロ・モンティチェッリの解釈によるアキレウスの盾のデザイン アントニン・シュコダによる
盾の見取り図


↑上記3点の資料画像はいずれもwikipediaよりリンク。

出演:クリント・イーストウッド、ジェフ・ブリッジス、ジョージ・ケネディ、ジェフリー・ルイス
監督:マイケル・チミノ
製作:ロバート・デイリー
脚本:マイケル・チミノ
撮影:フランク・スタンレー
音楽:ディー・バートン
上映時間118 分
1974年アメリカ

サンダーボルト [DVD]




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